人から見られている、の意味
いつも気になってしまう人からの視線。評価。自分を守るために本読んだりしていつも武装しているんだけど、ふとした拍子にメッキがはがれる。つけ刃だからね。
ただ人から見られている=評価されていることの認識が間違っていたことに気づいた。認められたい・評価されたい・いい人と思われたいという気持ち全部がその相手にゆだねられている。だから相手が変わると評価基準が変わってしまうからまた評価されるために自分が変わってしまう。まさにカメレオン。自分を見失うから外にいるといつも疲れてしまっていた。
でも人から見られているのはそこじゃない。相手のご機嫌をどれだけとったかじゃない。見られているのは自分の扱い方なんだ。自分が自分を大事にしているかどうかを見られている。だから相手に媚びを売ったところで意味がない。周りにいるよね、すがすがしいほど堂々と自分らしく生きてる人。そういう人って媚びうってない。気心知れた人以外に好かれようとしていない。その姿勢に好感を示されて結果的に慕われる。そっちになりたい。
自分らしく、とは?自分を探す
さて、人にどう見られるかばかり気にしてきちゃったから自分がわからない。そんな私ができること、というかまずやること。媚びを売らない。お人よしにならない。評価のために頑張らない。それをやっていくうちに自分が見えてくるかな?と。
自分を探す途中
昨日実践したこと。仕事でのこと。同僚からの指示の出し方がすごく気に入らなかった。百歩譲って上司ならしぶしぶやる。でも今回指示だしてきたのは同僚。勤続年数は向こうが上ではあるけど、人にものをお願いする態度ではない。これまでの私だったら全部引き受けてた。しかも大きい声ではっきりと応えてた。でも今回はスルー。超すがすがしかった。相手はびっくりしたでしょう。いつもいい人演じて期待に応えてきた私にスルーされたんだから。その後相手はどうなったか。丁寧に言い直してお願いしてきました。逆に無の状態の私の言葉に丁寧な言葉で返してくるようになった。これでいいんだ。
一歩前進
たったこれだけのことだけど気持ちが晴れた。なによりの収穫が一つあった。これまでは偽りに近い自分をやる反動で家でイラついてた。自分が頑張ってきちゃうから、ありのままの姿を見るともっとこうしてほしいと思ってストレスになっていた。子どもなんてもっと無理なのに頑張ることを求めてた。だけど昨日はいい人を演じたり評価をきにしてきたストレスがない状態で帰宅できた。そうしたら家で家族にイライラすることがなかった。相当疲れてたんだって自覚した。自分を見失うほど赤の他人の評価を気にして八歩美人やって…家ではバッテリーZERO。それがなくなるのだ。家が散らかってようが、子どもが好き勝手やろうが何も気にならない。私も自由にやるからお好きにどうぞ、になった。相手に認められようしなくなると、自分も相手に求めることもなくなるんだ。だから堂々としている人って一緒にいて心地いいというか、楽なんだってきづいた。
自分が自分であること
簡単に言うとこれができてたら人生最強。外に求めることは意味がない。他人の顔色を伺わないでいるほうが他人から好かれるようになるなんて信じられないかもしれないけど、そもそも十人十色の様々な性格の人たちに好かれようだとか媚びうるなんてほうがありえないか。いつも人が集まるような人ってへこへこしてない。私も人からどうみられているか気にしないで自分だして過ごしていこうと思う。
意識を変えてくれた本
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人間関係に悩んでいる人。自分見失って自信がなくなっている人にぜひ読んでもらいたい。不愛想ってネガティブに聞こえるけど、実践するとポジティブな反応が返ってくる不思議な感じ。不愛想でいられたら私の大半の悩みがなくなるんじゃないかって思うほど。時々読み返して不愛想を自分のモノにしたい。
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